それは、五年前の冬の物語。

 月の綺麗な夜だった。

 俺は爺さんと縁側に腰を下ろし、二人静かに月を見上げていた。

「子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた」

 ぽつりと、過去を懐かしむように爺さんが呟く。

 その言葉に俺は強く反発した。

 だって、あの頃の俺にとって彼こそが正義の味方そのものだったから。

「憧れてたって、今はもう諦めちゃったのかよ」

 あの赤い地獄から救ってくれた衛宮切嗣という人間こそが正義の味方の体現者だと、ずっとそう信じていたのだ。

 だから、よりによって爺さん本人からそんな台詞が出たことが我慢出来なかった。

 そんな俺の感情を知ってか知らずか、爺さんはすまなさそうに笑いながら話を続ける。

「残念ながらね。
 正義の味方ヒーローなんてモノは期間限定で、大人になるほど名乗るのが難しいんだ。
 こんな簡単なことですら、少し前まで僕は気付けなかった」

 自分の掌を数秒見つめて、次いで月を仰ぎ見る。

 穏やかで優しい口調なのに、まるでそれは懺悔のようで。

 そういうものなのかと、俺は納得せざるをえなかった。

「そっか、それじゃしょうがないな」
「ああ、本当に……しょうがない」

 爺さんは遠くを見つめながら相槌を打つ。

「しょうがないから、俺が代わりになってやるよ。
 爺さんにはもう無理かもしれないけど、俺ならまだ大丈夫なんだろ。
 まかせろって、爺さんの夢は――――」

 ―――――俺が、ちゃんと形にしてやっから。

 そう言い切る前に、父は微笑を浮かべてポンっと小さな俺の頭に手を乗せた。

 続きは言わなくていいと。判っているからと。

 掌の温かさが、そう告げている気がした。

 優しく髪を梳きながら、彼は、衛宮切嗣は。

 長く長く息を吸って、万感の篭った声で。

「ああ――――安心した」

 そう言って、静かに目蓋を閉じた。

 それが最期。

 頭に添えられた手がゆっくりと滑り落ちる。

 義理の息子に看取られて、衛宮切嗣はその人生を終えた。

 あまりに安らかに逝ったせいだろう。

 ひょっとすると、あの火災で死というものを見慣れていたからかもしれない。

 幼い自分は騒ぎ立てることも無く、ただ静かに父親だった人を見上げていた。

 不思議と胸に悲しみは無かった。

 ただ、両の目がひたすら熱い。

 泣き声をあげるようなことはなかったけれど。

 月が沈むまで、その涙が止まることは無かった。

 夜が明ける。

 通夜や葬式の手筈は恭にーと雷画さんがすぐに調えてくれた。

 美由ねえにしてもそうだけど、彼らには爺さんの死期が近いことは判っていたんだと思う。

 誰より近くにいた筈の俺がそのことに気付けなかったことが、ただ無性に寂しかった。

 ノイズが走り、場面が移る。

 あれは、恭にーに連れられて旅に出た日のことだ。

 爺さんの死から二ヶ月、俺は必死に強くなろうと足掻いていた。

 全てを救うことを夢見た、憧れの父の跡を継ぐために。

 かつての自分と同じ境遇に置かれる誰かを、この手で救い出すために。

 何より最初に、人を救えるだけの強さを得なければならなかった。

 御神の剣は誰かを護るためのものだと、恭にーはよく言っていた。

 剣術を鍛えること以外に夢を叶えるための手段を思い浮かばなかった俺は、我武者羅に腕が壊れる程に剣を振り続けた。

 恭にーには何度注意されたかわからない。

 それでも、俺は鍛錬を止めることは無かった。

 だからだろう、唐突に旅に連れ出されたのは。

 旅先では様々な出会いがあった。

 触れ合った人が持っているそれぞれの価値観を知り、漠然としていた全てを救う正義の味方がどういった存在かと幼心で考えることが多くなった。

 結局答えは出なかったけれど。

 そうやって考えられるようになったことは、素直に喜ぶべきなんだと思った。

 旅先では様々なことを学んだ。

 戦闘技術にしてもそうだし、料理やサバイバル技術にしてもそうだ。

 恭にーと共にしばらく厄介になった遠野のお屋敷ではバイトと称して執事の真似事なんかもさせられたし。

 思い返せば長いようで短い旅だった。

 それ以降、俺はあまり無茶はしなくなった……と、自分では思っている。

 周りからすればそれでも自重して欲しいそうなのだが。

 景色がぼやける。そして―――――


Fate/staynight、とらいあんぐるハートクロス二次創作

理想の意味、剣の意志

四日目 第一部

開幕 〜the opening〜



 目が覚めた。

 周りの景色は見慣れた自室の天井でも土蔵のものでもない。

 右手の違和感に目を向けて、昨夜のことを思い出した。

 手に跡が残るほど固く、意識を失ってまで握っていた八景。

 普段よりは真に迫っているのは確かだが、やはり何かが足りない。

「気付いたかしら?」
「メディ? あれ、美由ねえは?」
「美由希なら士郎が気付いたら起こしてと先に寝たわよ」
「……あのさ、今、何時だ?」
「深夜の三時頃よ」
「うげ……」

 想像していたより随分と長い。

「魔術回路自体は落ち着いているようだけど、身体に異常は無い?」

 身体を起こし、自分自身に解析を掛ける。

「ああ、特に無いみたいだ」
「どういう体してるのよ……」
「え?」

 小声であまりよく聴こえなかったので問い返すと、誤魔化すように手をパタパタと振って、

「なんでもないわ。それより右手のそれ、見せてもらってもいいかしら?」

 そう言っていまだに握り続けている八景を指差す。

「別にいいぞ。手を斬らないように気を付けろよ」
「判ってるわよ、そのくらい」

 メディは小太刀を受け取ると、叩いたり振ったり掲げたりと様々なことを試しだした。

「重さは結構あるのね……硬度自体も本物さながら。
 ねえ士郎、貴方はこれをどう思う?」
「今まで創ってきた中では多分最高の出来だ。
 けど、本物と比べると何かが不足してるって感じかな」
「これで不足って貴方ね……」

 呆れたようにジト目で俺を見るメディ。

「いくら外見は精巧に見えても中身が殆ど伴ってないんだよ」
「中身?」
「中身っていうか、剣を構成してる要素というか……」

 改めて問われると自分でも説明が難しい。

 言葉に詰まった俺に、メディが助け舟を出してくれた。

「士郎は投影する時、どういう手順を踏んで魔術を編んでいるのかしら?」
「そうだな……まずは創造理念の鑑定――――要するにどうしてその剣を創ろうかと思ったのかっていうのから始めて、剣の基本となる骨子を想定して、それを構成する材質を複製して、その制作技術を模倣して完成っていうのが今までの形だったんだけど……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。何よその無茶苦茶な工程は!?」

 叫んでから、はっとしたように彼女はぶつぶつと自分の世界に潜りだす。

「いいえ、士郎の投影を通常の投影と同一視することが間違い。
 工程の根幹が異質だとするのなら完成品が異質なのもまた道理。
 そしてその投影の根幹となっているのは、相当に高度な解析能力。
 世界の修正に耐えられる程の緻密さならば、もはやそれに特化してるとしか思えない。
 だったら……」

 おもむろにメディは顔を上げ、八景を床に置いて虚空に手を伸ばす。

「―――え?」

 彼女の手には、何時の間にか歪な短刀が握られていた。

 不気味な色に輝く刀身は大きく二度折れ曲がっていて、とても武器としての役割を果たせるようには思えない。

「この剣を解析してみてくれるかしら」
「あ、ああ……」

 受け取った剣に目を凝らし、

解析トレース開始オン

 自己暗示と同時、撃鉄が落ちる感覚。

 おそらくこれがスイッチってやつなんだろう。

「――――ぐっ!?」

 自身の実力を超える神秘の解析の代償は、焼けるような激しい頭痛。

 お前にはまだ早いと、脳が警鐘を鳴らす。

 歯を食いしばって痛みに耐え、より細部を探っていく。

「―――――そこまでよ」

 静止の声を掛け、メディは俺の手から歪な短刀を取り上げた。

 息が荒い。

 かなりの体力を消費したようだ。

「流石にこれ以上続けると危険だと思ったのだけど……どうだったかしら?」

 深呼吸を繰り返し、息を整えてから質問に答える。

「……駄目だ、読み取れた情報の殆どが断片的で使い物にならない。
 さっきの八景に欠けているモノが見えれば、多分解析できるようになると思うんだけどな」
「残念だけど、貴方の投影は異常過ぎて私では力になれそうにないわ。
 けれどこれが解析できるようになったのなら戦略の幅はかなり広がるはずだから、出来る限りのサポートはするつもりよ」
「助かる。
 で、結局その剣は何だったんだ?」
「サーヴァントには英霊を英雄たらしめるシンボルとなる武器が存在するの。セイバーならば剣、ランサーならば槍といった具合にね。
 英雄は相棒となる武器が揃ってこそその真価を発揮する。
 その英雄の武具を私たちは宝具と呼んでいるわ」
「じゃあさっきの剣は……」
「ええ。あれが私の宝具よ」
「え? でもメディは魔術師の英霊なんだろ?
 だったらその武器が剣ってのはおかしくないか?」

 俺の偏見かもしれないけど、魔術師が剣を振ってるところなんて想像できない。

 俺の中では魔術師といえば杖というイメージが根強い。

 いやまあ、俺みたいな例外的な奴もいるのかもしれないけど。

「誰があれを剣として使うと言ったかしら?
 大抵の宝具には英雄の伝承に関わる何らかの強力な概念が付加されているものなの。
 それは私の宝具も例外ではないわ。
 だからこの剣に内在する概念が解析出来たなら、敵と遭遇した時に相手の宝具の真名を読み取れるかもと思ったんだけど……」

 成る程、メディが態々己の宝具を晒した意図は理解できた。

 宝具に対する俺の解析能力を試したわけか。

 宝具の真名さえ特定できればそこから相手の正体まで辿り着けるのだから、その戦略的メリットの絶大さは計り知れない。

「やっぱり何事もそう上手くいくはずがないわよね」
「ごめんな、期待に応えられなくて」

 残念そうに溢したメディに申し訳なくて、俺は思わず謝ってしまう。

「いいのよ、駄目で元々なんだから」

 彼女は苦笑しながら短刀を消し、すっと立ち上がる。

「さて、士郎も起きたことだし美由希を起こしに行こうかしら」
「じゃあ美由ねえに道場で待ってるって伝えといてくれ」

 廊下でメディと別れた俺は自室で道着に着替えて道場に入り、軽いストレッチの後基本的な型の素振りを繰り返す。

 それをしばらく続けていると、メディが美由ねえを連れてやってきた。

「おはよ、士郎」
「おはよう、美由ねえ」

 道場に入った美由ねえは俺と同じようにストレッチ、型の反復を行う。

「よしっ、準備運動完了。
 それじゃ走り込み行こっか」
「おう」
「私は遠慮させてもらうわ」

 メディに留守番を任せ、まだ暗い街を走る。

 いつものコースを走り終える頃には、空は少し明るみを帯びていた。

「ただいま〜」

 帰宅を知らせて、居間へ。

 冷蔵庫の中に常備してあるスポーツドリンクで水分補給をしてほっと一息ついた。

 束の間の休息の後は見学するというメディを加えた三人で再び道場に向かう。

 道場の中央、木刀を手に隙を探りあう。

 あんな夢を見たからだろう。

 通用しないことは過去の結果から明白なのに、あの技を試してみようと思ったのは。

 木刀を逆手に、頭が接地する程体勢を低く。

 美由ねえの構えが抜刀の型に変わる。

 正面から迎撃するつもりか。

 ―――――――閃鞘 七夜

 地を蹴り疾走。すれ違い様に一閃。

 木刀同士のぶつかる鈍い音。そして少し遅れてカランという乾いた音が二つ。

 互いの木刀は、見事に真っ二つに折れていた。

 本家のこの技は恭にーでも間一髪防御するのが精一杯なほど、疾い。

 だが所謂凡人の俺には志貴さんのような「消える」動きは出来ない。

 それでもかなりの速度で移動できるのだから、劣化してるとはいえ使い勝手の良い技ではある。

 美由ねえ相手に初めて使った時はかなり良い線まで攻め込めたのだが、二度目以降は見切られて今回のように防がれるようになってしまった。

 もちろん本家を受けた恭にー相手だと話にもならなかったわけだが。

 一度神速状態で使えないかとも思ったが、身体が負荷に耐え切れず危うく筋肉が千切れそうになって、慌てて神速を解除して事無きを得たことがあり、それ以来試す気にはなれなくなった。

「随分と久しぶりだね、その技も」
「昔の夢を見てさ。ちょっと使いたくなったんだ」

 予備の木刀を取って、再び対峙する。

 流石に同じ調子で砕かれたんじゃ木刀がもったいないので純粋に御神の技で斬り結ぶ。

 何合打ち合ったところでか、母屋の方から電話のコール音が響いた。

 二人に待っててくれと伝え、木刀を置いて母屋に走り受話器を上げる。

「はい、もしもし。衛宮です」
「あ、先輩ですか?」
「桜か? どうかしたのか?」
「あの、今日と明日なんですけど、ちょっと用事が入っちゃいまして月曜までそっちに顔を出せそうにないんです」
「そっか。まあ桜も人付き合いとか色々あるんだろうしな。
 それを断ってまで来ようとしなくてもいいんだぞ」
「いえ人付き合いとかじゃなくて本当に私用で、無理にとかそんなことはないです。
 それに……」

 そこから先、桜の声が段々と小さくなっていき、よく聴き取ることが出来なかった。

「悪い、よく聴こえなかったんだが」
「な、なんでもありませんっ。
 藤村先生達にも伝えておいてくださいね」
「あ、ああ、任された」

 焦ったように否定した桜に戸惑いながらそう返すと、彼女はそれではと言って電話を切った。

 道場に戻り、二人に桜からだと伝え、鍛錬を再開する。

 休み無く打ち続け、三十分が過ぎた。

 そろそろ朝食の準備をしなきゃマズイ。

 鍛錬を終え、風呂場で汗を洗い流して台所に立つ。

 一人で料理をするのはいつ以来だろう。

 最近はいつも桜に手伝ってもらってた気がする。

 手際よく包丁を、フライパンを使いメニューを完成させていく。

「おはよ〜」

 虎が来た。

 朝食は九割方出来上がっているので桜が来れないことのついでにもう少し待つよう言い渡す。

 そうして朝食が完成。

 本日のメニューはスクランブルエッグとトマトサラダ、あとスープと白米。

 品数自体は少ないが量は結構な物だ。主に、対虎用に。

「「「「いただきます」」」」

 箸を動かしながら、他愛も無い雑談をする。

 食事が終わり、食器を洗う。

 それからしばらく駄弁っているうち、藤ねえの出勤時刻となった。

「私はそろそろ行くけど、士郎はどうする?」
「もう少し家にいるよ」
「は〜い、じゃ、いってきます」
「「「いってらっしゃい」」」

 玄関先まで藤ねえを見送り、俺は自室で制服に着替えて荷物と装備をまとめる。

 居間に戻ると、メディから銀製のペンダントを手渡された。

「士郎、これを持っていてちょうだい」
「これは?」
「護符のようなものよ。
 貴方の一般人と大差ない魔力抵抗も、それで少しくらいはマシになるはずだから」
「ありがとな」

 礼を言ってペンダントを受け取り、それを首から下げる。

「じゃあ俺もそろそろ行ってくる」
「昨日言った通り、私も行くわよ」

 そう言って霊体化したメディに頷きを返す。

「私は行けそうにないし、勝手にさせてもらっとくよ」
「そうしてくれ。じゃあ行ってくる」
「いってらっしゃい」

 姿の見えないメディと共に家を出る。

 こういう時、気配を読む術を持っていて良かったと思う。

 彼女の位置が特定できなくちゃ、いざって時に困るだろうし。

 もっとも、ベストなのはそのいざが来ないことだが。

 とはいえ今メディに話し掛けるのは通学途中の学生に変な目で見られるのを避けられないので、会話らしい会話もないまま学校に着く。

 校門の前で、鋭さと冷たさの混ざった声でメディが呟く。

『これは想像以上に酷いわね』
「何か解ったのか?」

 不審に思われないよう校舎に向かって歩きながら小声で訊ねる。

『これほど空気が淀むのは結界を張る前段階。
 結界のおよその効果の見当は付くけれど、ちゃんと調べないことには詳細は解らないわ。
 けれど、時期的なことを考えれば張ったのは聖杯戦争の関係者とみて間違いないでしょう。
 ただ解せないのは、何故もっとしっかりと隠蔽しなかったのかということ。
 下手に勘付かれては結界が完成しにくくなるはずなのに。
 それだけの実力が無かったのか、それとも獲物が罠に掛かるのを待っているのか……。
 士郎、貴方が授業を受けている間校内を単独で調査させてもらうけれど構わないかしら?』
「ああ、メディの好きなようにやってくれ」
『なら早速行かせてもらうわ』
「あ、ちょっと待った。合流場所はどうする?」
『私が貴方のいる場所までレイラインを辿っていくからその辺は心配しなくて結構よ』
「了解、じゃあまた後でな」

 メディと別れた俺は生徒会室には寄らずそのまま教室に直行する。

 早めに来ていた生徒達としばらく雑談しているうち、朝のHRの開始を知らせる鐘が鳴った。

 黒板に板書されることを淡々とノートに書き写す作業を四限目まで繰り返す。

 四限終了のチャイムが響く。

 今日は土曜だから、授業は昼までだ。

 終礼が終わり帰り支度を整えていると、教卓を降りた藤ねえが俺に話し掛けてきた。

「あのさ士郎。この後空いてる?」
「何かあるのか?」
「弓道部の用具の整備を頼まれてくれるかな。
 美綴さんに引き受けてもらったんだけど、どう考えても彼女一人じゃ荷が重いでしょ。
 だから士郎に手伝ってきて欲しいなー、なんて」

 間桐君がいれば彼に頼んだんだけどね、と藤ねえはそう付け加える。

「いいぞ。鍵は?」
「前と変わってないよ。無かったら多分美綴さんが先に行ってると思う」

 わかったと言って教室を出て、鍵の有無を確認する。

 無い。

 弓道場へ向かう。

 中に入ると弓に弦を巻いていっている美綴の姿があった。

「よっ」

 俺が声を掛けると、美綴は少し驚いた顔で振り返った。

「なんだ、誰かと思えば衛宮か。
 もしかして藤村先生からの援軍?」
「正解。流石に一人じゃここの掃除は辛いだろ」
「まあね、感謝するよ」

 役割分担を決め、弓道場の中を二人で忙しなく動き回る。

『……何をやっているのかしら?』

 調査から戻ってきたメディが呆れたように言う。

 美綴から離れて雑巾をひらひらと振り、

「見たらわかるだろ? 掃除だよ、掃除」
『……付き合ってられないわね。
 結界の対策を講じたいから、私は先に帰らせてもらうわよ』
「ん。美由ねえに帰りが遅くなるって伝えといてくれ」

 メディの気配が離れていくのを感じながら、止まっていた手を再び動かす。

 短い間とはいえ弓道部に在籍していたのだ。

 こうやって掃除をしていると懐かしさが込み上げてくる。

 作業に没頭しすぎたせいか、気付いた頃には既に夜の七時を過ぎていた。

「衛宮、あとはあたしに任せて先に帰ったら?」
「そっちこそ。残った分は俺がやっとくからさ」
「ここまでやったからには徹底的に綺麗にするつもりだから、長くなるよ?」
「俺もそのつもりだったさ」

 で、結局二時間ほど延長する羽目になったが、気分は清々しいものだ。

「くぁ〜、やっぱ二月の夜は寒いねえ。
 じゃああたしは鍵返してくるから、校門の所で待ってて……」

 キィンと。

 それほど遠くない所から、今まで何度も耳にした、でも決してこんな場所で聴こえるはずの無い冷たい音が耳に届いた。

「ねえ、今変な音しなかった?」
「ああ、俺にも聴こえた」

 錯覚じゃない。

 こうしてる今も、音は絶えず続いている。

 あまりに耳慣れた、武器同士のぶつかる剣戟音。

「逃げるぞ」

 強引に美綴の腕を取り、足音を立てないよう気を配りながら裏門に向かって走り出す。

「え、なんで?」

 戸惑う彼女に俺が掴めた状況を説明する。

「校庭で誰かと誰かが戦ってる。
 三人いるみたいだけど、一人は傍観に徹してるらしい」
「……なんでそんなことがわかるんだ?」
「色々あったからな。むしろこんな暴力じみた殺気に気付けなかったこと自体が不覚なくらいだ」

 そうぼやいた直後、不意に音が止んだ。

 殺気の濃さが一段と凶悪になり、空気の温度が急激に冷えていく。

 ヤバイ、そう思ったところで。

 バキッと。

 美綴の足が運悪く落ちていた枝を踏み折ってしまった。

 さらに不運なことに、その音は静寂の中やけに大きく響き、

「誰だ!?」

 俺達の存在に気付かれてしまった。

 美綴の手を引いて全力疾走。弓道場の裏の林をひたすらに突っ走る。

 だがそんなモノ、凄まじい速度で俺達を追い抜き目の前に立ち塞がった男の前では所詮無意味な行為に過ぎなかった。

 闇に溶け込むような群青の鎧を纏う男の手に握られている、禍々しい深紅の槍。

 それを見た途端、否応無しに身体が凍った。

 ぎゅっと、美綴は震える手で俺の袖を強く握る。

 無理もないと、そう思う。

 いくら男勝りな性格だったとしても、彼女は戦いとは無縁のか弱い女の子なんだ。

 こんな状況に置かれて平常心でいられる筈が無い。

 そして、俺以外にそんな彼女を今この場で護れる人間はいない。

 覚悟が決まると、自然と硬直は解けた。

 ゆっくりと美綴の手を外し、彼女を庇うように一歩前に出て男を睨み据える。

「いけすかねえマスターの命令でな、目撃者はとりあえず消せって言われてんだ。
 運が無かったと思って諦めて大人しく死んでくれや、お二人さん」

 哀れむようにそう告げて、男は無造作に槍を突き出した。






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 途中巻いて巻いてでなんとかここまで漕ぎ着けました。
 お待たせしました。聖杯戦争、ようやく本格的に開幕です。
 補足事項として長編の背景を黒単色で統一。前に見にくいと友人に言われたんで。
 更に追記。ブログ、気付いたら十万ヒットを超えていました。めっさ嬉しい。
 あっちの方でも何かをやろうかななどと画策中。
 誤字、脱字、設定面でのズレ等指摘がありましたらどしどしと。
 応援や感想も頂ければ幸いです。