アインツベルンの所領に赴いて結界の基点を探しはじめてから、一体何日が過ぎただろう。

 愛娘を救い出そうと、義理の息子を偽ってまでこの地に足を運んだのはよかったのだが、かつての僕ならばともかく呪詛で衰えた肉体と魔術回路では、冬の城の攻略など到底不可能だった。

 途方に暮れながらも、無茶だと解っていながらも諦めきれずに調査を続け、気が付けば持参した食糧の備蓄も残り少なくなっていた。

 どれだけ粘れてもあと三日が限界、未練を断ち切れないまま今日もまた僕は冬の森を彷徨う。


Fate/staynight、とらいあんぐるハートクロス二次創作

理想の意味、剣の意志


サブプロローグside Kiritsugu



 日が暮れかけてもこれといった変化も得られず、凍える空気に奪われた体力も限界に達しかけていたので、一晩明かして一度街に引き返すべきかなんて考えていると、不意に木々の奥からドサッと、物音が響いた。

 ここに来てから風の音以外に音らしい音を聞いていなかった僕は、僅かな希望を求めて迷うことなく音源へと足を向ける。

 罠という危険性、いい加減目障りになった僕の排斥に重い腰を上げたアインツベルンの刺客、こんな場所に不似合いな音はあらゆる可能性を想起させ、警戒心を抱かせるには十分過ぎる役割を果たしていた。

 コートに忍ばせていた銃の安全装置を外して襲撃に備えつつ、木の陰に身体を隠しながら慎重に移動を繰り返し、そうして辿り着いた先には仰向けに倒れ伏した一組の男女がいた。

 男は長くも短くもない黒髪の東洋人じみた顔立ちの青年で、容姿はかなり整っていて、その体躯は相当鍛えこまれている。

 女の方は腰まで届きそうな髪を黄色いリボンで三つ編みにまとめた、男と同じ黒髪の東洋人じみた顔立ちの美女。

 二人の顔立ちはどことなく似ていることから、兄妹か、それに近い親戚だろうことが判断できる。

 魔力の量から推測するに共に魔術師ではなさそうだが、傍らに転がっている抜き身の刀は彼らが一般人とも異なることを明確に示している。


 ――――――さて、どうするべきかな?


 見たところ彼らに目立った外傷は無かったので判断に迷い二人の様子を観察していると、どうやら男の方が気が付いたらしく小さな呻き声と共に身体を起こしてゆっくりと頭を振った。

「うっ……く……、ここは……どこだ?」

 思考が混乱しているのか小声で呟いたかと思うと、すぐにはっとした表情で周囲を見渡し、隣にいる女を見て男は安堵の溜息をついた。

「美由希。おい、美由希!」

 美由希と呼ばれた女の身体を数度揺らし、彼女の意識を覚醒させる。

「う〜……、恭……ちゃん?」
「ああ。怪我はないか」
「うん、大丈夫だと思うけど……ここ、どこ?」
「分からん。確か俺達は……っ!!」

 言葉を止めて表情を引き締めた男は慣れた手付きで転がっていた刀を拾い上げると、僕の隠れた木に寸分違わず視線を向けた。

 一拍遅れて、女の方も刀を拾い、構える。

 気配を遮断した僕に気付くか……。

 殺意の宿った鋭い眼でこちらを窺っていた彼らは、こちらが動かないと解ると抑揚の無い口調で言葉を紡いだ。

「そこに隠れている奴、敵意がないなら姿を現わせ。
 十秒立っても現れなければ、攻撃する」

 一瞬の黙考の後に銃を仕舞い直し、両手を上げて抵抗の意思が無いことを示しながら木陰から姿を見せる。

 かつての、魔術師殺しの悪名で恐れられていた頃の自分ならば強襲などの手段も選べただろう。

 けれど今の衰弱した身体で人並み外れた殺気を放つ彼らと戦えば敗北は必至、故に生き残るために取れる選択肢はこれしかなかった。

 話し合いで解決できるならばそれでよし、決裂すればその時は運が無かったまでだ。

「どういうつもりで、あんな場所に隠れていたんだ?」

 戦意のまるで無い僕の様子を疑問に思ったのか男が問い掛ける。

 いきなり斬りかかってきたらどうしようかと思っていたが、少なくとも話くらいは聞いてもらえそうだ。

「どういうつもりと聞かれてもね。正直なんと答えたものやら……」
「誤魔化すな。言い方を変えようか。
 気配を消して俺達を窺っていたのは何故だ?」
「ああ、それは不慮の事故だよ。
 誰だってこんな森の奥に人が倒れてたら少しは警戒するものだろう」
「森の奥……だって?
 ちょっと待ってくれ。俺達は確か洞窟の中にいたはずなんだが」

 妙だ。話がまるで噛み合っていない。

 互いの意見に、致命的なまでのズレがある。

 目前の疑問に気を取られているのか、それとも僕に害意が無いことが分かったのか、男は殺気を霧散させながら尋ねてくる。

 ひとまず状況を整理するためにも落ち着いたほうがいいだろうと提案すると、男も同感だったらしく、僕の寝泊りしているテントで話し合うことになった。

 側に落ちていた荷物を拾い上げた彼らをテントまで案内し、僅かばかりの炎で暖を取りつつ、僕から口火を切る。

「はじめに自己紹介をしておこうか。僕の名前は衛宮 切嗣という。君達は?」
「俺は高町 恭也です。で、こっちが高町 美由希」

 現在荷物を漁っている共に倒れていた長い黒髪の女性を示しながら告げる。

 中から取り出した眼鏡を掛け、美由希と呼ばれた女性は恭也くんの隣に座るとぺこっと頭を下げる。

「はじめまして、高町 美由希です」
「恭也くんに美由希ちゃんだね。名前からして日本人かい?それに同じ苗字ってことは……」
「別に俺達のことは呼び捨てで構いませんよ。
 父も母もれっきとした日本人で、美由希は義理の妹です。
 俺の父の妹が美由希の母親に当たり、戸籍上の関係は従兄妹ということになっていて……」
「でも、今じゃ恋人同士なんです」

 悪戯っぽく美由希ちゃんが口を挟む。

 若干顔を赤くしながら恭也くんは咳払いをして、話題を逸らすように尋ねてきた。

「そういう衛宮さんも日本から?」
「ああ。冬木って街に住んでるんだけど……知ってる?」
「すいません、聞いたことがない地名です。
 俺達は今世界を転々としてますが、昔は海鳴という街に住んでました」
「海鳴……すまない、こちらも初耳だ」
「そうですか」

 ……気まずい。

 日本出身というから現地の話で盛り上がれるかと思ったが、流石にそう上手く事は運ばないようだ。

「それで恭也くん」
「……もうそれでいいです。なんですか?」
「どうしてあんな場所で倒れてたんだい?」
「俺にも分かりません。気が付いたらあそこにいて……」
「事情を話してもらっていいかな?」
「構いませんよ、俺も自分の考えをまとめたいですし。
 その前にいくつか貴方に確かめておきたいことがあるんですが」
「いいよ、なんだい?」
「幾つか質問をします。YesかNoで答えて下さい。
 一つ目、貴方は人を殺めたことがありますね?」

 最初から随分と重い質問だが、おそらく彼には答えが分かっているであろう問い掛け。

「……Yesだ」

 下手な誤魔化しは不信を招くし、ここは正直に応えておく。

「でしょうね、纏っている雰囲気が一般人にしては不自然な点が多すぎる。
 それでは次の質問です。
 香港警防、龍、御神の剣士……この中に知っている言葉はありますか?」
「残念ながらその答えはNoだ。
 これでも結構な数の戦場を渡り歩いてきた自負はあるし、それなりに裏の世界にも通じているつもりだけど、どれも聞いたことがない言葉ばかりだよ」
「そうですか。では最後に一つ……フィアッセ・クリステラという人を知っていますか?」

 尋ねる恭也の表情は固い。

 その人物が彼にとってどんな関係にあるのかは分からないが、その名を告げた彼の声音には縋るような響きがあった。

「……Noだ、すまないけどね」
「そう……ですか」

 その答えを聞いて何を思ったのか。

 まるで何かを思い出すかのような遠い目で虚空を見上げ、

「……そうですか」
「恭ちゃん……」

 もう一度同じ言葉を繰り返した彼を美由希ちゃんが心配そうに見つめている。

 しばらくして僕に向き直った彼は、訥々と自分のことを話し出した。

「…………俺達は香港警防という組織に所属していました。
 完全実力主義の組織で、法を守るためなら非合法ギリギリの手段も選ぶような組織でした。
 龍、というのは俺達の仇のテロ組織の名称です」
「失礼なことを聞くけど、仇というと君達はテロの被害に?」
「俺達がじゃなくて俺達の親族が、ですけどね。
 結婚式で親戚一同が集まる日を狙われました。
 御神という家は護衛を生業にしていた剣術一族で、そのせいかいろんな犯罪集団から恨みを買ってたんでしょうね。
 そのテロのせいで結局今生きている御神の血統は俺と美由希を含めて三人だけです」
「そうか……それは、悪いことを聞いたね」

 生き残りが三人ということは、少なくとも父親か母親、あるいはその両方を亡くしているということだ。

「いえ、気にしないで下さい。俺から話したことですから。
 話を戻しますが、事の発端は香港警防に持ち込まれたとある依頼でした。
 依頼内容は行方不明者の調査だったので危険はないだろうという甘い考えは、現地の洞窟で完全に吹き飛ばされましたよ。
 洞窟に着くと中に入らなければならないという奇妙な感覚に襲われて、ここが原因だと判断して奥に進むと、洞窟に不似合いな扉を見つけました。
 扉を開こうとすると、まるでそれを守るかのように佇んでいた石像の群が一斉に襲い掛かってきたんです」
「それで、どうしたんだい?」

 奇妙な感覚というのはおそらくは結界による暗示。

 石像というのはおそらくゴーレム、それも群というからには一体二体ということはないだろう。

「動きが複雑ではなかったので迎撃してから進みました。
 その先には何かの研究施設のような機材が置いていて、それに気を取られていたわけではないのですが、奇怪な杖を持った女が気配を悟らせずに現れて勝手に話し出したかと思うと、彼女はこちらが質問する間もなく攻撃してきました」

 話から察するに女というのはおそらく魔術師、それも彼らが気配を読めないとなると相当の腕利きということになる。

「御神の剣士が気配を悟れないだけに警戒していたんですが、それでも前動作すら読めず、今まで培った経験と勘を頼りに辛うじて初撃は防げました。
 それから女の周囲に効果も原理も分からない光の球が浮かび上がっているのを見て、撃たれる前に奥義を使って相手の腕を切断したまではよかったのですが……。
 女は即座に機械の陰に隠れるとその機械を作動させると、俺達の身体が光に包まれはじめて、気付いたらここにいたというわけです」

 機械を使うという点は疑問ではあったものの、それを考えるのは後回しだ。

 少なくともこんな荒唐無稽な話をする段階で彼らが嘘をついている可能性は低いと見ていいだろう。

「おおよその事情は分かったよ。
 今度は僕からもいくつか聞かせてもらって構わないかな」
「どうぞ」
「それじゃあまず最初の質問から。
 恭也くん、美由希ちゃん。君達はこの世界に魔術と定義されるものがあると思うかい?」
「あるんじゃないでしょうか」
「あると思います」

 二人が確信しているような口調でそう答える。

「なにせ吸血鬼やら妖怪やら霊力やら、過去に散々自分の常識を覆される出来事に遭遇してきましたからね。
 今更魔術が存在するといわれるくらいではあまり驚きませんよ」

 ……どうやら彼らも彼らで色々と非日常を体験してきたらしい。

「だったら話は早い。率直にいうとね、僕は魔術師なんだ」
「なんとなく話の流れから予想できましたが……それで、それがどうしたっていうんですか」
「……そこまで淡白な反応を返されると僕としても立場がないんだけどな。
 ま、いいや。二つ目の質問。その遺跡がどこにあるのか覚えているかい?」
「すいません、ヘリを使ったので詳しい場所までは。
 というよりも結局ここはどこなんですか?」
「そういえばなんだかんだで先延ばしにしてたっけ。
 ここはアインツベルンっていう魔術師の一族が所有する領地の森。
 森には結界が張られていて迂闊に彷徨うと確実に迷うから、君達が行動を起こす前に発見できて良かったよ」
「それについては礼を言っておきます。
 ですが、だとすると切嗣さんは何故こんな危険な場所に?」

 当然予想できた疑問。

 けれど、その問に即座に答えるのを躊躇する自分自身がいた。

 誰とも知らぬ僕に色々と私情を教えてくれるほどに彼らは人がいい。

 そんな彼らに娘のことを話せば、間違いなく協力を申し出ることだろう。

 いいのか、と自分の中から声が聞こえる。

 戦力としては頼もしいかもしれないが、下手に巻き込むことは即ち彼らを死の危険に晒すことになるんだぞ、と。

 二年前、あの戦争を契機に零れ落ちなくなった大切なモノが再び零れ落ちるという恐怖。

 もう一度、二人の顔を覗き込む。

 真っ直ぐな眼だ。真摯に僕のことを心配してくれている。

 誠意をもって事情を説明してくれた彼らを、僕はまだ信じることができないのか。

 胸の内の想いを押し殺し、僕は決意を固めて口を開いた。

「僕にはね、一人の娘がいるんだ」
「娘……ですか」
「ああ。イリヤっていって、母親に似て僕なんかとは似ても似つかない可愛い子でね。
 フルネームはイリヤすフィール・フォン・アインツベルン。この名前を聞いて大体の事情は察してもらえるかな」
「アインツベルン、ですか」

 この場合注目すべきは衛宮姓ではないということ。

「こいつらは何百年も昔からあるモノを手に入れることに異常な執念を燃やしている狂った魔術師の家系で、そのあるモノっていうのは普通じゃ手に入らないものなんだ。
 およそ六十年に一度の周期でそれを入手する機会が巡ってくる。
 それは魔術師ならば何を代償にしてでも手に入れる価値のある代物だった。
 アインツベルンは戦闘に向いた……いた、実戦向けの魔術師じゃない。その証拠に、過去三回行われた戦争でも全て序盤で敗退している。
 その三度の戦争は勝者を生んでいない。けれどいつ他の誰かに掠め取られるか分からないアインツベルンには後が無かった。
 だから四度目の戦争の折、一族は禁忌を破ってまで外の魔術師を招き入れることを決めたんだ」
「それが貴方だったと?」
「その通りさ。こう見てても僕って結構有名だったんだよ。
 魔術師殺し、誰のセンスかは分からないが大層な二つ名だ。ただ魔術に頼り切った連中の慢心を突いただけだっていうのに。
 戦争が始まるまでの数年の間に妻を娶り、子を授かった。
 そして戦争が始まると僕と妻は日本へと旅立った。娘をこの冬の城に残したまま」
「結果は……どうだったんですか?」

 思い出すのは赤き煉獄。

 そして僕の信じた信念を塵も残さず焼き尽くした黒き太陽。

「悲惨なものだったよ……最悪だった。
 妻や長年の相棒を喪い、最後まで生き残った僕は戦争の真実の片鱗を絶望と共に知った。
 そこにあったのは僕が欲した奇蹟などではなく、周囲に破壊をもたらすだけの殺戮兵器だったんだ。
 それでも利用価値は充分以上にあるから他の魔術師なら躊躇わず手に入れようとしただろうが、生憎魔術師として異端だった僕が選んだのはそれを破壊することだった。
 それによって数多くの犠牲者を出しながらも、戦争は終結した。
 しかしどんな理由をつけようが、アインツベルンからしてみれば土壇場で裏切られたようなものだ。
 宿願が手の届くところにあっただけに、飼犬に手を噛まれたというには失われたモノの価値はあまりにも大き過ぎた。
 アインツベルンは躍起になってこの制裁に乗り出すものと思っていたが、その方がまだ僕にとっては幾分マシだっただろう。
 奴らはこう考えたのだ。あの程度の男に賭けた自分達が愚かだったのだ、あんな駄犬は娘に会えぬままどこぞとも知れぬ場所で死に果てるのがお似合いだ、とね」

 話し終えて彼らを見ると、想像以上の内容だったのか絶句している。

 先に我に返った恭也くんが真剣な表情で言う。

「それでは、貴方は娘を助けるために?」
「ああ。だけど、あの戦争で僕の身体は呪いに犯されてね。いつ死んでもおかしく無い状態なんだ。
 結界の基点を探すことすらままならないなんて、昔じゃ考えられなかったよ」

 呪いに犯され魔術を奪われた程度でこれほどまで弱くなるなんて、自分の情けなさに苦笑するしかない。

「だったら俺達も探すのを手伝いますよ」
「ありがたい申し出だけどね、結界の基点は魔術師じゃないと見つけられないよ」
「ですが……」
「食糧の備蓄ももう少ないし、一旦街に引き返そうと思ってたところだったんだ。
 今から引き返せば明日の昼には街に着けると思う。
 そこでネットの繋がる宿を取ろうと思うから、詳しい話はそれで君達が情報を集めてからの方がいいだろう」
「……分かりました、ですが俺達文無しですよ」
「そのくらいなら僕が奢るから気にしなくていいよ」

 納得がいかないが納得せざるを得ない説明に、僅かに顔を顰めて恭也くんが了承する。

 これで話は終わりとばかりに手を打って、話題を変える。

「それじゃ、簡単に食事してから出発するとしようか」

 テントの隅に置いておいた荷物から携帯食を取り出し、三人で食べ、その後速やかにテントを片付けてから日が落ちるまで歩き続け、日が完全に暮れる前に再びテントを張り直した。

 男二人は防寒具に身を包み、美由希ちゃんに寝袋を譲って夜を越す。

 翌朝、昨日と同様にテントを片付け街を目指して歩みを再開し、森を抜けてしばらく歩いた道路でタクシーを拾って近くにある一番大きな街まで運んでもらった。

 街に着くと宿を探し、部屋を取ってそこに向かう。

 恭也くんはしばらく調べ物をするといってパソコンを弄りだし、僕らはその結果を待つ。
 
「……お待たせしました」

 調べ物を終えた恭也くんが肩を落として戻ってくる。

「何か分かったのかい?」
「分かったというよりも分からなかったといいますか……。海鳴の街がないんですよ」
「海鳴がないって、どういうこと?」

 美由希ちゃんが不安そうに問う。

「言葉通りだ、日本中捜してみたけど見つからない。
 翠屋のホームページもなくなってるし、フィアッセについての記事も一切無いんだ」
「嘘……」
「こんなことで嘘をついてどうする」

 苛立ちを抑えきれないまま恭也くんが冷たく言い放つ。

 話を聞くと地元のことも有名人の知人の情報も得られなかったそうだ。

「だったら、ひとまず日本に帰らないか?」
「帰りたいのはやまやまなんですけど、俺達パスポートも金も持ってませんから」
「そのことなら心配しなくていいよ。
 僕も一人置いてきた息子が気になるし、一度日本に戻ろうと思ってたんだ。
 密入国になるけどそれでもいいかい?」
「この際文句なんて言ってられませんよ。
 是が非でも状況を確認しないと、これからの行動の指針も定まらない」

 ま、確かにそうだ。

 僕らは段取りを話し合ってから食事を取り、そして眠りについた。





 それから数日後の夕刻、僕らは無事に冬木の港に着いた。 

「切嗣さん、御世話になりました」
「気にしないでいいよ。なんだったら今夜は泊っていったらどうだい?
 じきに日も暮れるしさ」
「そうですね。でしたらお言葉に甘えさせてもらいます。
 本当、何から何まで迷惑を掛けます」

 新都の定食屋で食事を済ませて、次いで向かう先は深山町の坂の上にある一軒の武家屋敷。

 二年しか住んでないとはいえ、久しぶりに戻ってくるとやはり懐かしさが込み上げてくる。

「ただいま〜」

 門を潜り、母屋に向けて声を掛ける。

 すると中から慌しい足音と共に、しばらくぶりに聞く二人の声が返ってきた。

「おかえり、爺さん」
「おかえりなさい、切嗣さん」

 声の主はまだ子供といっても差し支えの無い義理の息子である士郎と、制服に身を包んだ隣に住む極道の娘の大河ちゃん。

「久しぶりだね、元気にしてたかい」
「そういう爺さんこそ……あれ、後ろの人たちは?」
「ああ、彼らには旅先で偶然知り合ってね。 
 出会ったのも何かの縁ってことで家に来てもらったんだ」
「そうなんですか。はじめまして、衛宮士郎です」
「藤村大河です」

 二人は驚きながらも自己紹介をして頭を下げる。

「こちらこそはじめまして、高町恭也です」
「高町美由希です、よろしく」

 それに応えるように後ろについてきていた恭也くん達が小さく笑いながら手を差し出す。

 握手をしながら、士郎は子供ならではの無邪気さで尋ねる。

「恭也さんと美由希さんですね。それで、その、二人って夫婦なんですか?」

 まあ、どう見ても成人している二人が兄妹で仲睦まじくしてるとは思わないだろうけど。

 二人は若干頬を赤らめながら否定ともつかない曖昧な言葉を口にする。

「まだ夫婦じゃない、同姓なのは義理の兄妹って関係だからだ」
「そうだよ。一応付き合ってるとはいえ、お互い仕事で日取りが合わなくていつもいつも……」

 相手が子供だからかそれとも気にする余裕も無いほど焦っていたのか、恭也くんたちは丁寧な口調を捨ててどもっていた。

 その反応が言葉より雄弁に二人の親密さを物語っており、その様子に僕ら冬木組が苦笑する。

「それで士郎、今夜は二人に泊ってもらうつもりなんだ」
「そっか、じゃあ部屋の準備をしてこないとな」
「悪いね」
「気にすんなって、爺さんだって帰ってきたばかりで疲れてるんだろ。居間で寛いでろよ」
「うん、そうさせてもらうよ。ささ、二人も上がって上がって」

 そう二人を促し、靴を脱いで板張りの廊下を歩く。

 居間は僕が旅立つ前とあまり大差なく、座布団に腰を下ろしてほっと気を緩める。

 士郎は冷蔵庫から麦茶を取り出し、人数分の湯飲みにそれを注いで運ぶ。

「どうぞ」
「ありがとう」

 恭也くんたちは頭を下げて湯飲みを受け取り、軽く口を潤す。

「そういや爺さんたち、夕食は食べてきたのか?」
「新都の方で軽くね。ああ、でも久々にビールが飲みたいな」
「あのな、俺も藤ねえも未成年なんだぞ。
 爺さんが旅立ってすぐにビールは全部藤村組の方々に譲ったよ」
「……それもそうか」
「あ、それなら私ひとっぱしり行ってきます」

 勢いよく立ち上がった大河ちゃんは物凄い速さで駆け抜けていく。

 その変わらない様子に思わず笑みが零れた。

「相変わらず元気みたいだね、大河ちゃんは」
「まったく、元気すぎてこっちが困るっての」

 口ではそう言いながら、士郎もまた苦笑とはいえ笑っている。

「それじゃあ俺は藤ねえが戻ってくる前に部屋を整えとくか」
「よろしく頼むよ」
「ごめんね、士郎くん」
「美由希さんたちが気にする必要はないですって。
 それで二人の部屋は別々の方がいい……」
「同じでお願い」
「……分かりました」

 おそらく士郎に他意は無かったんだろうけど、美由希ちゃんが素早く反応して答えを返す。

 恭也くんに目を向けると、彼にも異論は無いらしく口を挟むつもりは無いようだ。

 士郎が居間を出て行ったのを見計らって恭也くんが口を開く。

「立派な息子さんですね」
「ああ、僕にはもったいないくらいできた子供だよ」

 本当に、僕にはもったいない。

 僕が日常生活に大雑把なせいか、いつの間にか家事全般は士郎が担うことになっていたし、旅に出ると言った時も文句一つ言わず見送ってくれた。

「それにしても、士郎……ですか」
「同じ名前の知り合いでもいるのかい?」

 そう珍しい名前では無いから、そうであってもあまり不思議ではない。

「知り合いというより、亡くなった父の名前なんです」
「父、か……」

 恭也くんや美由希ちゃんの顔を見れば、高町 士郎という人間がどれだけいい父親だったこのか容易に想像がつく。

 僕は何か士郎に父らしいことはしてやれただろうか。

 そんなことを考えていると玄関の扉が開く戸が聴こえ、大河ちゃんがビールの入った袋を抱えながら帰ってきた。

「おまたせ〜、切嗣さん」
「ありがと、大河ちゃん」

 準備の終えた士郎が居間に戻って来るのを待ち、瓶ビールの栓を抜く。

「恭也くんたちもどうだい?」
「ありがたくいただきます」

 士郎が三人前のグラスとつまみを運び、ビールを注ぐ。

 それからは士郎が思い出話をせがんだり、大河ちゃんが恭也くんたちに色々と質問したりと、賑やかな時間が流れていた。

 夜の十時を過ぎた頃、流石にこれ以上遅くなるとお爺さまがうるさいからと大河ちゃんは帰り、うとうとしはじめた士郎を寝かしつけて部屋に運び、大人三人、静かに酒を飲む。

 士郎も寝たことだし縁側で飲まないかと提案してみると、二人は乗り気でついてきた。

 縁側から見上げる月は煌々と輝いており、肴にするにはうってつけだ。

 何杯目なのかもう数えるのも忘れた頃、ぽつりと恭也くんが呟く。

「家族……か」
「やっぱり心配かい?」
「そんなの、当たり前じゃないですか」
「恭ちゃん、なのはの成人式楽しみにしてたもんね」
「なのは、というのは妹さんかい?」
「ええ、異母兄妹ということもあってかなり歳は離れてますが。
 そういう切嗣さんは心配じゃないんですか、イリヤちゃんのこと」
「勿論心配さ。あの子がこの場所で笑っている光景をどれだけ夢見たことか。
 イリヤがいて、士郎がいて、大河ちゃんがいて、皆でわいわい騒いで……。
 たとえ僕の寿命を縮めることになっても、イリヤのことは諦めるつもりはないさ」
「士郎くんにはそのことは……」
「言ってないよ。言えるはずがない。士郎にも、大河ちゃんにも。 
 この街でイリヤのことを知ってるのは資金やら経路やらで援助してくれている大河ちゃんの祖父の雷画さんぐらいのものだ。
 士郎はね、僕の実の息子じゃない。二年前にあった大火災で唯一救えた子供でね。
 自分だけが生き残ったことに罪を感じているのか、歳の割に精神が成熟してて……」
「あの歳の子供にしては行動がしっかりし過ぎていると思えば、成程そういうことでしたか。
 まあ、髪の色や顔つきが親子にしてはあまり似てないなとは思ってましたが」
「あの子のことだ。僕に娘がいることが分かれば、自分のことを放ってとっとと助けに行けって言うに決まってるさ」
「……難しいですね」
「ああ、本当に……」

 話に夢中になっていたのか、気が付けばビールは空になっていた。

「新しいのを何本か取ってくるよ」
「いえ、この辺で結構です。ごちそうさまでした」
「そうかい、ならせっかくだしこのあと風呂でもどうだい?」
「あ、お願いします」

 浴室を見に行くと、既に湯を抜いていたので簡単に風呂掃除をして湯を満たす。

「もうちょっと時間が掛かりそうだから」
「分かりました」

 その後二人が入ってから風呂を浴び、長旅の疲れを癒す。

「お待たせ、それじゃ部屋に案内するよ」

 あらかじめ士郎から聞いていた部屋に二人を通し、明日の朝はどうするかを尋ねてから自室へと戻り、布団に転がる。

 疲労と酒の酔いが相まって、僕の意識は思いのほか早く闇へと沈んでいった。







 翌朝、いつものようにあの戦争の悪夢に魘されて日が昇る前に目覚めた僕が居間に行くと、庭から金属のぶつかり合う冷たい音が耳に届いた。

 何事かと庭を覗き込むと、恭也くんと美由希ちゃんが二本の刀を持って隙を窺うように構え、互いに牽制していた。

 こちらに気付いた二人は、相手から視線を逸らさないまま微かにこちらに首を傾けて軽く会釈を送り、再び向き直る。

 先に動いたのは美由希ちゃん。鋭い踏み込みから、一突き。恭也くんはそれが読めていたように身を捻ってこれをかわし、下段から掬い上げるような斬撃を放つ。

 突きに使わなかった刀でこれをガードし、衝撃が重かったのか顔を顰めた美由希ちゃんはバックステップで距離を計りながら何かを投じる。

 それを軽々と避けた恭也くんは今度は彼の方から接近、乱撃を叩き込む。

 防戦一方かと思いきや、美由希ちゃんは間隙を縫って反撃し、徐々に恭也くんの攻めの勢いが緩んでいく。

 それでも、その一撃一撃の速度は視認が困難なほどに速い。

 いや、困難なんてものじゃない。微かに軌跡が見える程度だ。

 ふと隣に人の気配を感じ振り向くと、いつ起きたのか士郎が二人の剣戟を熱い眼差しで凝視している。


 ――――――『英雄』


 二人の戦いに、何故か、嫌悪するその言葉を思い浮かべている僕がいた。

 攻めきれないと踏んだ彼は大きく横へ跳び、間合いを離す。

 追撃を掛けてきた美由希ちゃんの袈裟の一撃を鞘で逸らし、納刀。

 その構えを見た美由希ちゃんは素早く地を蹴って距離を取り、刺突の構えを取る。


 一瞬の静寂、そして――――――


「せやっ!!」
「やぁぁぁああ!!」

 動いたのは同時、しかし勝ったのは……恭也くんだった。

「ふぅ……」

 美由希ちゃんの額数ミリの所で刀を止めながら恭也くんは溜息をつく。

 刀を鞘に納め、礼を終えて二人はこちらに近付いてくる。

「起こしてしまいましたか?」
「いいや、どうにも夢見が悪くて自然と目が覚めただけだよ。
 もっとも、そのお陰で凄いものを見せてもらったけどね。
 なんなら道場を使ったらどうだい」
「いいんですか?」
「構わないよ。使う人がいないと寂しいしね」

 道場に向かいぼんやりと鍛錬を眺めていると、士郎がどこからか竹刀を持ってやってきた。

 どうやら手合わせして欲しいようだ。

 僕と恭也くんはどうしたものかと顔を見合わせるが、士郎の無邪気に輝く瞳に親心が負け、軽く打ち合う程度なら構わないと許可した。

 士郎は喜び勇んで恭也くんと対峙するが、格が違いすぎる。

 振るえど振るえど簡単にあしらわれ、意地を張った士郎が懲りずに突っ込んでいくという構図が、ものの数分で完成した。

 打ち込みながら、士郎に的確な指導を飛ばしている恭也くんの表情はどことなく楽しそうだ。

 やがて士郎の息が荒くなった頃合を見計らって恭也くんが終わりを告げる。

 呼吸一つ乱していないのは流石と言うべきか。

「ありがとうございました」

 礼の声が道場に響く。

 朝食の準備をしてくると言って道場を後にした士郎の顔には清々しい笑みが浮かんでいた。

 それからしばらく鍛錬を続けていた彼らだったが、士郎の呼ぶ声で中断し、三人で居間へ向かう。

 居間に行くと、大河ちゃんは既に座っており、士郎が料理を盛った皿を運んでいるところだった。

「手伝おうか?」
「でしたら箸をお願いできますか。恭也さんたちは割り箸を使ってもらうことになりますけど」
「まあ昨日の今日じゃ仕方ないさ」

 準備が終わり、全員で合掌して、

「いただきます」

 そして、朝食は始まった。

 何故か箸を震えさせながら卵焼きを掴んで口に入れた美由希ちゃんが固まる。

「あ……あのさ、これって士郎くんが作ったんだよね」
「ええ、そうですけど」

 その何気ない一言で傍目から見ても分かるほど落ち込んでしまった。

 なんというか……箸を動かす腕に力が無い。

「ど、どうしたんです?」
「ううん、気にしないで。私のプライドが粉々に砕け散っただけだから」

 状況が理解できず顔を見合わせる僕達に説明するように恭也くんがぶっちゃける。

「美由希の奴、料理が致命的なまでに……命に関わるくらい下手なんだ。
 何度も練習してるはずなんだが、一向に上達する気配もなくてな」
「ちょっ、恭ちゃん」
「……あ〜」

 言葉が出ない。

 確かに年下の、しかもまだ少年にも届かない男に負けたとなればそのショックは計り知れない。

 なんともいえない気まずい沈黙を破ったのは、空気の読まない大河ちゃんだった。

「そんなに落ち込むこと無いって、私も料理下手だから」
「……この場合、どう反応したらいいんだろう」

 結果、美由希ちゃんが更に落ち込んだ。

 こんな風に色々あった朝食も無事終わり、士郎と大河ちゃんを見送り、恭也くんたちの旅立ちを見届ける。

 茶色い封筒といくつかの紙を挟んだファイルを渡す。

「これは?」
「先立つものがないと帰れる道も帰れないだろう。とりあえず百万入れておいた。
 紙のほうは僕の連絡先と衛宮家の電話番号、それと住所を記してある」
「百万ってそんな大金……」
「受け取れないっていうのかい?
 文無しなんだろう、遠慮してるんだったら借りた金だと思ってくれ。
 いつか……いつでもいい、この家に返しに来てくれるのを待ってるよ」
「なんとお礼を言えばいいか……」

 恭也くんがしきりに頭を下げる。

「別れる前に一つだけ言っておくよ」
「なんでしょう?」
「もしも、もしも帰る場所が見つからなかったその時は、この家に来るといい。
 士郎も大河ちゃんも、勿論僕も君たちのことを快く迎えるからさ」
「……はい、その時は御世話にならせて頂きます」

 それを最後に彼らは去っていった。

「さて、と。僕もしゃんとしないと」

 イリヤを助けるためにも、温かい家庭を維持するためにも。

 誓いを新たに、晴れ渡った空を見上げたのだった。






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 切嗣サイドからのプロローグ。
 とりあえずこれで設定面のこじつけは終わったわけで、次からようやく士郎サイドから書ける。
 初めて20kb越えたりと未熟な自分の文章ですが、よければ飽きずに最後まで読んでくれることを願います。