「時間ですよ。起きて下さい、士郎さん」

 唐突な眩しさと共に感じたのは、覚醒を促す柔らかな少女の声。

 小さな手に身体を揺すられる……というより触れられていると言った方が似合いそうなこそばゆい感覚に、まどろみの中にいた意識が徐々にクリアになっていく。

「ん……ぁ……」

 ゆっくりと瞼を開けば、寝惚け眼に映るのは普段着の白のワンピースを着たツグミの優しげな微笑。

 俺が目を覚ましたのを確認して身体を離した彼女は、ふよふよと中空に漂いながら俺が行動を起こすのを待っている。

 眠りに着いた時間は変わらないはずなのに、ツグミに寝起きの跡は無い。

 かつて彼女から聞いた話では神獣は元々あまり睡眠を必要としないらしいから当然と言えば当然なのかも知れないけれど、ツグミと共にあった五年の間に俺が彼女の寝顔を拝む機会のあった回数を指折り数えていけば片手で事足りる。

 それ以外の時はいつも俺より先に眼を覚まし、今日のように俺が指定した時刻にこうして起こしてくれる。

 親父が生きていた頃は家事全般が駄目な養父や義姉のためにも俺がしっかりしなくちゃなんて考えていただけに、ツグミに初めて起こされた朝は結構新鮮な気分になったのは今となっては良い思い出だ。

「くぁ〜……。
 おはよう、ツグミ」
「おはようございます、士郎さん」

 大きな欠伸をしつつ布団を跳ね除け上体を起こした俺は、彼女と朝の挨拶を交わしてからぐっと伸びをし、枕元に置いた時計に視線をやる。

 時刻は早朝四時三十分。

 冬木は季節の寒暖の影響が比較的小さい地域ではあるのだが、それでもやはり一月の朝、それも日の出前となると流石に肌寒いし、ツグミが電気を点けてくれたお陰で部屋の中は明るいけれど、外が白むにはまだ少し時間が掛かるだろう。

 そんなことを考えながらうんと伸びをして立ち上がった俺は、布団を畳んで押し入れに突っ込んでから目を覚ますため洗面所に向かった。

 冷たい水で顔を洗った後、用意しておいたTシャツとジャージに着替え、パジャマを洗濯籠の中に投げ入れる。

 神剣を扱うようになってから朝の日課となった深山町周辺の走り込み。

 筋力や体力などは神剣を握れば勝手に強化されるとはいえ、この現代日本で堂々と剣を持ち歩けば危険人物扱いされるのは間違いない。

 俺はそんなのは御免被りたいから、四六時中神剣を肌身離さず持っておくなどという真似は平穏な日常生活を送る上でほぼ不可能と言っていいだろう。

 だから、いざ何らかの事件に巻き込まれた際に神剣の力を使うには僅かな時間とはいえ自力で稼ぐ必要が出てくるわけで、恩恵無しでも多少なりとも動けなきゃならない。

 ――――――なんてもっともらしい理由付けは、よくよく思い返せば後からしたもので。

 鍛えるようになったキッカケは神剣の力に頼りっぱなしじゃ情けないという、単純な自分自身の気持ちの問題だった。

 準備運動をして小一時間ほど走り込んでから家に戻った俺は、簡単に汗を拭い水分補給をしつつ、十分程休憩する。

 その小休止の後、俺は道場に向かうと筋トレや素振りをしはじめた。

「士郎さん、そろそろ桜さんが来る時刻です」
「お? もうそんな時間か」

 鍛錬の終わりを告げるのは、いつもツグミの言葉。

 彼女がいるお陰で時間を気にせず集中できるのは有り難い話だ。

 桜っていうのは、ちょっとした出来事があってからほぼ毎日家に来てくれるようになった、中学時代からの友人である間桐慎二の妹の間桐桜のこと。

 シャワーを浴びて汗を流し、ジャージとTシャツ他洗濯物数点を洗濯機に放り込む。

 それから制服に着替えた俺は、桜が訪れるまでの間に朝食の下拵えを始めておくことにした。

「お邪魔しますね、先輩」

 数分後、玄関の扉を開く音と共に、聞き慣れた妹分の声が耳に届く。

「おはようございます、先輩、ツグミちゃん」
「おはよう、桜」
「おはようございます、桜さん」

 居間に入ってきた桜は挨拶をしながら素早くエプロンを着ると、ごく自然に俺の隣に立ち台所の手伝いに加わった。

 ここに通い始めた頃はお握りすらまともに握れなかったのだが、本人の努力の甲斐あってだろう、今ではこと洋食に関してならそろそろ桜に追い抜かれているかもしれないという程の勢いで急成長している。

 師匠としても面目を保つためにも、俺もうかうかしてられないな。今まで手を出してなかったけど、そろそろ中華料理とかにも挑戦してみるべきか……。

 桜と雑談をしながらそんなことを頭の片隅で考えている内にやがて調理も終わり、人数分の皿を用意していると、ばたばたと慌ただしい足音を響かせて藤ねえが居間に飛び込んできた。

「おっはよー、桜ちゃん、ツグミちゃん、士郎」
「おはようございます、大河さん」
「おはよう、藤ねえ」
「おはようございます、藤村先生」

 この騒々しい登場の仕方も、毎朝続けば慣れてくるもので。

 相変わらずの様子の藤ねえにもう少し待ってろと言いながら、皿を並べる作業を再開する。

 藤ねえという呼び名から想像できるとおり、この藤村大河って女性は俺にとって姉のようなひとだ。

 お隣さんということもあって十年前、この家に引き取られて早々に出会う機会があったのだが、あの頃の俺はまだまだ幼くて、藤ねえもまたそこまで大人びていたわけじゃなかった。

 ……まあ、今が大人びているかどうかはさておき。

 そんな俺達の当時の関係はとても良好とは言い難く、むしろ険悪とさえ言えるような間柄だったのだが、その原因を思い返すと我が事ながらかなり情けない気持ちになってくる。

 というのも、あの頃の藤ねえにとって切嗣は憧れの人で、俺はそんな親父にくっつく無愛想な子供として認識されていて。

 あの頃の俺にとって藤ねえは親父と俺の間に入ってくる嫌な女だと幼心で勝手に反発していた。

 ――――――つまりは当時の俺達はどちらも精神が不安定、あるいは未熟過ぎたのだ。

 だからだろう、初めのうちはいがみあっていた俺達だったけれど、しばらく時が過ぎてふと気付けば、いつの間にか互いが互いを家族として認めていた。

 必要な分の皿を並べ終える。

 桜と俺はエプロンを脱いで腰を下ろし。

「いただきます」
「「「いただきます」」」

 俺の音頭で一斉に手を合わせ、各々食事に箸を伸ばしだした。

 藤ねえは豪快に、桜は控えめに見えながらそれでいて意外と量を食べていて。

 俺の隣……と言っていいのかは曖昧なところだが、テーブルの上の若干開けたスペースに座っているツグミは小さな箸を巧みに操りほむほむと白米を咀嚼していた。

 ちなみにツグミのことは、二人には家に住み着いた精霊だと説明している。

 俺の頭の中身を疑われそうな話だが、たとえ信じられなかったとしても、人間では有り得ないサイズのツグミの姿が実際に目視できる以上は精霊という言葉を否定する要素を見出せるはずもなく。

 桜にせよ藤ねえにせよ、少し時間は掛かったものの結局最後には納得してくれた。

 あと、ついでに言うのなら、神剣のことについて言わなかったのは話がややこしくなるからっていうのも理由の一つではあるのだが、単に俺自身が神剣ってモノをいまだに理解しきれていないからである。

 自分でも解っていないことを他人に説明して、それで納得してもらえるとはとても思えなかったので、とりあえずは省くことにしたのだ。

 かくして衛宮家の一員として受け入れられたツグミであるが、家族として認めてもらえたからには彼女と一緒に食卓を囲みたいと俺は望んだわけで。

 最初こそ俺の食事を分けていたものの、いつまでもツグミ用の食器が無いというのは嫌だったので、数日の内に彼女が扱える専用の食器を一通り揃えた。

 あの時ほど自分の手先が不器用じゃなかったことに感謝したことはない。

 慣れない作業の連続で市販品とは比べるべくもない不恰好な出来ではあったのだけれど、それでも使う分には問題無さそうなそれらをプレゼントした時のツグミの戸惑ったような、それでいてとても嬉しそうな笑顔は俺にとって何より満たされる報酬だった。

「ごちそうさまでした」
「「「ごちそうさまでした」」」

 朝食を終え、各自で食器を流しに持っていく。

 食後のお茶をまったりと啜りながらテレビを眺めているうちにしばらく時間が経って。

「桜、藤ねえ。そろそろ」

 二人が所属する弓道部の朝練に間に合うように家を出るには頃合いかと思って声を掛ける。

「うん。ツグミちゃんがいるからあんまり心配はしてないけど、遅れちゃ駄目よ、士郎」
「わかってる」
「先輩、ツグミちゃん。行ってきます」
「行ってらっしゃい」

 二人を玄関まで見送った俺は食器を片付け、洗った洗濯物を干していく。

 一通りやることを終えると、予鈴より少し早く到着するくらいの時間になったので自室に鞄を取りに向かう。

「じゃ、行くか。ツグミ」
「はい、士郎さん」

 そう言って家を出た俺達は門の鍵を閉めると学校へと歩き出した。




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 久しぶりの永遠神剣クロス二話目。お待たせしました。
 会話文の少なさに我ながら驚きつつ。
 四月はもっと早く更新すると言っておきながら、四月の多忙さに愕然とする今日この頃。
 結局また月末更新。
 明日か明後日に四月の活動報告でも日々徒然で書こうと思います。
 問題点の指摘や誤字脱字、感想等々があればどしどし送ってください。