吐く息が白く染まるような肌寒さの一月下旬の深夜、俺こと衛宮士郎は既に日課となっている鍛錬をこなすために土蔵にいた。

 結跏趺坐の姿勢を組み、精神を集中させて言霊を紡ぐ。

同調トレース開始オン

 唱えるのはあくまで自己暗示のためのもの。

 自己の裡に深く深く潜り、求める結果を引き出す。

 魔術なんて御伽噺のような代物が実在することを知ったのは十年前。

 それから親父に頼み込むこと二年、根負けした親父からようやく初歩の初歩を教えてもらった。

 魔術を成す為には大源マナ小源オドに変換する魔術回路という疑似神経のようなものが必要不可欠なのだが、才能が無いと言われた俺にはその魔術回路を生成することすら一苦労。

 かれこれ八年続けてきたけど、どうにも慣れない。

「――――――は、ぁ……」

 なんとか生成に成功、荒くなった呼吸をゆっくりと落ち着けていく。

「大丈夫ですか?」
「ああ、今日は思いの外すんなりいった」

 心配そうに俺の顔を覗き込んでくる白いワンピース姿の少女に言葉を返すと、ほっ、と少女の顔に安堵の色が浮かぶ。


 ――――――この少女、ツグミと出会ったのは今から五年前の冬の夜。


 今でもその時のことは鮮明に思い出せる。

 親父の葬式の数日後、一人で土蔵に篭ってた時のこと。

 魔術の鍛錬で失敗して死にかけていた俺の耳に、唐突に少女の声が届いたのだ。

『聞こえますか、契約者?』

 声を発するだけの余裕も無かったその時の俺には、微かに頷くことでしか肯定の意思を示すことができなかった。

『私は永遠神剣第五位【継承】
 契約者よ、すぐに我が銘を呼んでください』
「け、い……しょ、う……」

 疑問に思う暇も無く、言われた通り掠れた声で言葉を結ぶ。


 ――――――途端、閉め切られた土蔵の中に突風が吹いた。


 風の発生源は俺の両手にいつの間にか握られていた、双剣。

 いや、対にならない二本の剣を、はたして双剣と呼んでよいものか。

 右手の剣は日本刀に似た形状。黒曜石を磨き抜いたような黒い刀身と、同じく黒色の鍔と柄糸の黒一色で統一された剣。

 左手に握られたのは銀色の刃と赤い柄を持つ西洋風のショートソード。刀身にはルーン文字らしきものが刻まれ、鍔には所々に緑や青の宝石で装飾されている。

「これ、は……?」
「ようやく出会えましたね、契約者」

 正面から聴こえた声に、不一致な剣に向けていた視線を移す。

 そこには、羽も無いのに空中に浮かぶ身長二十センチ程度の巫女装束の少女がいた。

 雪のように白い肌に、それとは対照的な漆黒の瞳。そして瞳と同色の長く艶やかな黒髪はポニーテールに結われている。

「君は……?」

 倒れた身体を起しながら発した俺の質問に、少女は恭しく頭を下げながら答えた。

「私は永遠神剣【継承】の神獣です」
「永遠神剣? 神獣?」

 意味不明な用語に戸惑う俺を見てか、少女がフォローするように付け加える。

「永遠神剣については徐々に理解してもらう予定ですから、現段階では持主に力を与える武器という程度の認識で構いません。
 神獣というのは剣に宿った精霊だと思ってください」
「……なんでそんな存在が俺のところに?」
「五年前の火災の中、貴方が私と契約を交わしたからです」

 今でも時々夢に見る、俺の原初の記憶とも言える赤い地獄が脳裏に浮かぶ。

 俺から名前以外の全てのものを奪い去った新都の大火災。

 そこで俺は親父――衛宮切嗣に救われ、彼から衛宮の姓をもらった。

 思い出す、無力に彷徨い力尽きたあの頃の自分を。

 しかしいくら思い返しても、彼女と契約したという記憶は思い出せなかった。

「悪い、まったく覚えてない」
「でしょうね。なんとなくですがそんな気はしていました」
「契約ってことは、俺にも何か義務みたいなものがあるのか?」
「いえ、今のところはマナも枯渇していませんし、これといって契約者に要求することはありません」
「じゃあなんで今になって?」
「契約者が生命の危機に瀕していたからです。
 今までにも何度か声を掛けたことはあるのですが、その声が届いたのは今回が初めてで、ようやく契約者の前に顕現することができました」
「君が助けてくれたってことか?」

 気が付けば失敗の後遺症は治っているし、気分だって随分楽になっている。

「ええ、契約者に死なれるわけにはいきませんから」
「そっか、ありがとな。
 それより、その契約者って呼び名、なんとかならないか?
 俺にはちゃんと衛宮士郎って名前があるんだからさ」
「知ってますよ、伊達に五年間貴方を見ていたわけじゃありません。
 では、これから貴方のことを何と呼べばいいのでしょうか?」
「君の好きなように呼べばいい」
「なら士郎さんと、そう呼ばせてもらいます」
「別にさんはいらないだろ」
「好きに呼んでいいと言ったのは貴方ですよ、士郎さん」
「……もうそれでいいよ。
 それで、君の名前は?」
「神獣の名を決めるのは契約者の役目です。
 神剣の銘はあっても、殆どの神獣は特定の名前を持ちませんから」
「そりゃ、責任重大だな」
「ふふ、期待させてもらいますね」

 頭を捻り、少ない知識で彼女に似合う名前を探す。

 そして十分程度の時間でしかないが、悩んだ末に出た名を彼女に告げた。

「ツグミ、っていうのはどうだ?」
「ツグミ……」

 彼女は瞳を閉じ、噛み締めるように与えられた名を呟く。

「いい名前だと思います。士郎さん、ありがとうございます」

 礼を言うツグミの表情は花開くような眩しい笑顔で、その美しさに俺は思わず見惚れていた。

 この先何があろうと、その笑顔だけは、きっと忘れない。


 ――――――回想を終える。


 魔術回路を起動させたまま立ち上がり、両手に【継承】を顕現させる。

 すっかり手に馴染んだ、まるで重さを感じないアンバランスな二つの剣。

 右の刀を鞘に納め、左手に握ったショートソードを逆手に構える。

 ツグミに名を与えた後、俺は自分の服装が変化していることに気付いた。

 金色の竜が刺繍された材質不明の青い外套、その下には所々に赤い文様の入った黒い薄手の長袖Tシャツと黒のズボン。

 腰には神剣の鞘が左右一対あり、刀の鞘は黒、剣の鞘は白。

 俺が成長するのに合わせてこの服はサイズが変わるらしく、五年前から今まできついだとかぶかぶかだとか思った覚えが無い。

 ……考えてみれば便利なことこの上ないよな、これ。

 脇に逸れた思考を戻し、鍛錬の開始をツグミに告げる。

「サポートは任せた。もしもの時は頼む」
「了解しました」

 神剣の担い手となってから、俺は身体や魔術の他に『神剣魔法』や『神剣技』を鍛えるようになった。

 『神剣魔法』はこの世界で定義される『魔法』ではない。

 親父から教えてもらったことだが、この世界では時間さえ掛ければ科学で代用できるもの『魔術』と呼び、現代技術では達成不可能なものを『魔法』と区別しており、現存する『魔法』はたった五つしかないらしい。

 『神剣魔法』とはマナに直接働きかける、あるいは自己の体内でマナをオーラフォトンと呼ばれる粒子に変換してそれを活用することで発動する術式である。

 ツグミが言うには第三位以上の上位神剣ならば魔法クラスのことも可能らしいが、俺程度の実力では使えるのは加護や防御の術式が精々だ。

 またオーラフォトンは小源とは別物で、俺の場合だとオーラなら様々な種類の加護の技が使えるが、小源では強化一種類、他には中身が無い投影程度のことしかできない。

 『神剣技』とはマナやオーラを神剣に付加させ、破壊力を高める等のいくつかの特殊効果を伴った攻撃のことだ。

 とはいえ、ただでさえ神剣の力で身体能力が向上しているのだから、一撃一撃の威力が正直洒落にならない程高すぎて、新しい技を試そうにも場所を見繕うのが結構面倒だったりする。

 土蔵で鍛錬するのは『神剣魔法』と魔術の二つ。

 魔術の方は一向に進歩がみられないが、『神剣魔法』については【継承】とツグミのサポートのお陰である程度のレベルまでは上がった。

 これから行うのは『神剣魔法』の練習。

 魔術回路を開いた意味は、後に魔術の鍛錬をするということもあるが、一番の理由はオーラと小源とが共に体内に存在している状態に慣れるためだ。

 初めて魔術回路を開いたまま『神剣魔法』を使用した時には、違和感のあまり気分が悪くなり、鍛錬を途中で中断せざるをえなくなった。

 それ以降はこうして二つの異質な力に慣れることに重点を置くようにしている。

「じゃあ、始めるぞ」

 意識を集中する。

 唱えるのは俺が神剣を手にした当初から使用可能だった四つの技の一つ、一定範囲内にいる存在に鼓舞の加護を与える無属性神剣魔法『インスパイア』

「マナよ、力の意志宿すオーラとなりて我らの戦の支えとなれ」

 足下に複雑な魔方陣が広がる。

「インスパイア!!」

 呪を紡ぐと同時、魔方陣から溢れる眩い光。

 光が消え去ると魔方陣は跡形も無く消失し、俺の身体を淡く輝く光の粒子が覆う。

「―――――くっ……」

 軽い眩暈。倒れそうになった身体を右手の剣を杖にしてなんとか支える。

 正面に浮いていたツグミはそんな俺を見て即座に手を突き出す。

 展開される複雑な術式。

 ツグミが腕を引き戻す頃には、気分の悪さは完全に無くなっていた。

 それさえ無くなれば、加護によって得た活力が十全に作用する。

「悪いな、助かる」
「いえ、士郎さんを助けるのは私の役目ですから」

 その台詞を聞くのはもう何度目だろうか。

 加護の効果が切れるのを待ちながら、俺はそんなどうでもいいことを考えていた。

 無属性神剣魔法の特徴に、加護の重ね掛けが出来ないというものがある。

 だから別の加護を発動させるためには、既に掛けられた加護が解けるまで待たなくてはならない。

 しばらくして光の粒子が消えていく。

 次の加護を唱え、切れるのを待ちその次の加護を。

 それを十回繰り返し、終わる頃にはすっかり体力を使い果たしていた。

「駄目だ……もう、限界……」
「お疲れ様です」

 ぐったりと腰を下ろし、ペットボトルに入れて持ち込んでおいた水を喉に流し込む。

「はぁ……美味い」

 キャップを閉めてペットボトルを地面に置くと、剣を握ったまま大の字で横になった。

 二十分ほどぼーっと寝転がっているうちに体力も何割か回復したので、身体を起こして鍛錬を再開する。

 魔術の鍛錬、試すのは強化の魔術。

 神剣を消して立ち上がると、積み重ねられたガラクタの山の中から鉄パイプを三本取り出し、それらに魔力を籠めていく。

 一本目、失敗。
 二本目、失敗。
 三本目、失敗。

「また、失敗か……」

 ほぼ確実に成功する神剣魔法に対し、魔術の成功率はわずか数パーセントにも満たない。

 才能が無い以上その分を努力で補うしかないが、ふと時計を見ればとうに二時を回っていた。

 これ以上続けるとツグミに夜更かしするなと文句を言われそうなので今日の鍛錬はこの辺で切り上げることにして、片付けをして土蔵を後にする。

 自室に戻った俺は手早く布団を敷くと、

「おやすみ、ツグミ」
「おやすみなさい、士郎さん」

 そう言って俺は布団に潜り、ツグミは机の上の専用スペースで眠りについた。


 

 運命の夜まで、あと二日。




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 とりあえず講義に行く前にアップしようと思った。